オーケストラ・ディマンシュ第4回演奏会


解  説

 1913年5月29日、パリのシャンゼリゼ劇場にファゴットの高音が響わたるや、それは怒号と賛辞の入り乱れる一大スキャンダルの幕開けとなったが、それはまた同時に、20世紀音楽の最高峰として今なお光輝く舞踊音楽がこの世に姿を顕わした瞬間でもあった。『春の祭典』である。セルゲイ・ディアギレフの主宰するバレエ・リュッス(ロシア・バレエ団)によって、この20世紀芸術の記念碑がうちたてられたのであったが、これは作曲家のイーゴリ・ストラヴィンスキーにとっても、『火の鳥』・『ペトルーシュカ』に続き、音楽史における自身の名を決定的なものにする作品となったのである。彼はバレエ・リュッスの2回目のパリ公演において、1910年6月25日にパリで初演された『火の鳥』の成功により、一夜にしてバレエ界・音楽界の名士となったが、ロシアの伝承を素材とするこの作品には、彼の師リムスキー=コルサコフ(1844 - 1908)から受けた教えがいかんなく発揮されている。この作品の初演に先立ち、パリでの初日(6月4日)に披露され、バレエ・リュッスのもっとも成功した舞台のひとつとなったのが、リムスキー=コルサコフの管弦楽曲をバレエ化した『シェヘラザード』であったことは興味深い偶然といえよう。バグダッドのハーレムを舞台に展開される壮大なセックスと生死のスペクタクルは、作曲家のイメージに反してはいるものの、数年前にアラビア語からのフランス語完訳が刊行されたマルドリュス版『千一夜物語』の反響もあってか、パリの聴衆はすっかり魅せられてしまったのであった。
 さて、『シェヘラザード』(1888)は、リムスキー=コルサコフの作品のうちでも最も名高い作品として人口に膾炙しているが、「千一夜物語による交響組曲」との副題からもわかるように、「アラビアン・ナイト」として知られる『千一夜物語』の印象に基づいた作品である。作曲年からいって、前述のマルドリュス版ではなく、おそらくはバートン版(全16巻、1885 - 1888)もしくはペイン版(全12巻、1882 - 1884)のどちらかを作曲者は読んだものと思われる。巻頭、「これアッラーの御意(みこころ)なり!寛仁にして慈悲深きアッラーの御名において!」で始まる『千一夜物語』はアラビアの民話集であり、その原典には多くの写筆本やアラビア語刊行本があり、また、それぞれの内容も多岐にわたるが、研究者によれば、それらは十世紀から十六世紀までの間に成立したものであるという。リムスキー=コルサコフはこれらのうちのどの物語を題材としたかを完全に特定してはいないが、いくつかの物語から得られる印象を、その管弦楽法の手腕を存分にふるって4曲からなる交響組曲に仕上げたのであった。
 「シェヘラザード」は『千一夜物語』の緒話として語られる「シャハリヤール王と弟シャハザマーン王との物語」に登場するヒロインの名であり、また千一夜に及ぶ物語の語り手である。名君として国民の信望を集めていたシャハリヤール王は、ある日、愛妃が黒人奴隷との愛欲に耽っているのを知ってその首を刎ね、以来、毎夜生娘の純潔を奪っては翌朝殺すという暴君になってしまった。これが3年続いたのち、大臣の娘である美女シェヘラザード(「都市の娘」の意)が妹ドゥニアザードとともに参内し、色々な物語を語って聞かせた。王は彼女の語る物語に魅かれ彼女を殺さず、千一夜に渡る彼女の物語りの末、ついには女性不信の心を捨て、彼女を正妃に迎え、以前にも優る希代の名君として国を治めたという。スコアの冒頭には、これが簡潔に語られ、また、各曲の標題が記されているが、前述のとうり、どのエピソードのことかは特定しきれない。毎夜の物語は、シェヘラザードの「おお、幸多き王様よ、私の聞き及びましたところでは....」という前口上に始まり、「....ここまで話してくると、シェヘラザードは朝の光が射してくるのを見て慎ましく口をつぐんだ。」という一節で終わるが、この構成はシェヘラザードを表わすヴァイオリン・ソロによって見事に表現されている。また、東洋的情緒あふれる旋律は、「魔術師」とも謳われた管弦楽法によっていっそう魅力あふれるものとなっているが、交響曲としての構成に匹敵する形式を持ち、終楽章に前楽章までの主題が次々と現われる点など、「交響」的作品としての要素も持っている。こういった絢爛豪華な音の洪水にしばし身を浸してみるというのも、また音楽の楽しみの一つではあろう。

 『春の祭典』の初演に遅れること数ヵ月、ストラヴィンスキーに負けず劣らずセンセーショナルな作品の初演がパヴロフスクで行われた。「こんな未来派の音楽なんか悪魔にくれてやれ。家の猫だってこんな音楽はできるぞ」とは初演の評である。ペテルブルグ音楽院在学中の若干22歳の気鋭、セルゲイ・プロコフィエフ(1891 - 1953)の2番めのピアノ協奏曲であった。
 プロコフィエフを語る時思い起こされるのは彼の、一旦は西側に亡命しながらもソヴィエトへと復帰したその経歴である。当初「スキタイ組曲」や「道化師」「3つのオレンジへの恋」といった新奇なモダニスムから出発した彼の音楽が次第に志向していった方向と彼の音楽の底辺をなすものをそれは物語っているように思われる。すなわち、簡易平明な表現・時として過度になりすぎるきらいもある甘さ・流麗な抒情性(それは民族性に基づくものである)などが彼のめざしたものであり、実はこれはソヴィエトの公的芸術信条(!)の〈社会主義リアリズム〉が音楽に於いて求めるものと一致するところが多い。プロコフィエフの場合、彼の復帰の契機が、西欧に於ける抽象的音楽の模索に行き詰まりを感じたこと、或いは自己の民族性(西欧において異邦人(エトランゼ)たる自分)を実感したことであったと考えれば、復帰後の作風はあながちスターリニズムの強制だけによるものではないだろう。ソヴィエト復帰後「キージェ中尉」「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」等、初期のモダニスティックな作風とその後の抒情的・叙事的傾向および明解性を見事に結び付けた傑作をものした彼が、その総決算ともいうべき輝かしい金字塔として打ち建てたものが作品番号100という数字と共に「交響曲第5番」として姿を現わすのである。
 奇しくも同名のショスタコーヴィッチのニ短調交響曲と同じくソヴィエト交響曲の代表作となったこの曲は、1944年独ソ戦(大祖国戦争)の最中に作曲された。作曲者は「誰もが祖国の為に戦っている時、自分も何か偉大な仕事に取り組まなければならないと感じた」と述べている。作曲は二ヵ月で行われ(プロコフィエフは主題材料を丹念にノートしておくので実際の作曲は早いといわれている)翌1945年1月13日レニングラード解放の祝賀祭の夜、自作演奏会において「古典交響曲」「ピーターと狼」に続き、作曲者自信の指揮により初演された。その際ソ連軍のヴィスラ河畔での勝利の報と共に祝砲が鳴らされ、演奏はソ連全国に中継されてさながら国家行事の観を呈したという。これをもってこの曲を単なる国威発揚作品と見るのは誤りであろう。そこに描かれているのは特定の人物の英雄的行為でも戦争の勝利への賞賛でもない。そこには「人間精神の偉大(the grandeur of the human spirit)」があり、また、プロコフィエフの全人格的表現が見い出せるだろう。
 全曲を通じピアノ、ハープ、各種打楽器を用いた大編成のオーケストレーションは各楽器の最高・最低各音域を多用し見事なまでに透明な響きから劇的な不協和音までを自在に表現する。第1楽章は明瞭なソナタ形式によっておりその展開部の立体的構成はプロコフィエフの手腕の冴えるところである。金管と打楽器の劇的なコーダは苦難に立ち向かうかの如く決然と主調主和音に解決する。第2楽章はプロコフィエフ一流のアイロニカルな音楽で、西欧大都会の喧騒を思わせたりもする。彼は相当の自信家だったそうだが、この一見人をバカにした様にも見えるスケルツォはそのあらわれかもしれない。第3楽章はどこまでも澄みきった星満つる蒼弯を思わせるこの上なく美しいアダージョで、かの偉大なベートーヴェン「第9」の第3楽章に比肩される。切々とうたわれる挽歌は次第に壮大な盛り上がりを見せ、怒りにも似た激情が迸るが再び全ては茫漠とした薄明の彼方へと消え去って行く。第4楽章は複調的な導入の後第1楽章主題が朗々と引用され、歓喜に満ちたロンドが疾走する。中間、低弦から決然と湧き上がる主題は「偉大なる人間精神」を象徴するかの如く響きわたり、主部へと回帰してゆく。コーダは全管弦楽が狂気さえ感じさせる圧倒的な音響を築いた後、圧縮されたエネルギーを一気に爆発させて全曲を閉じる。
 この「第5番」と、続く「第6番」は、1948年ジダーノフ・ラインにより不当にも「形式主義的・反民衆的」の烙印を押され、プロコフィエフはショスタコーヴィッチやハチャトゥリアン等と共に「第2回作曲家批判」の爼上に上がることとなった。その後発表された「第7番」がその「批判」の〈教義〉に迎合するものであることは否定できないだろう。我々はショスタコーヴィッチの場合と同様、そこに国家社会体制と芸術活動の関わりあいについて投げかけられる問題を見い出すことができよう。

 心地よい旋律に身をまかせ、豪華絢爛な響のうちに描き出される情景を想い浮かべる至福の一時を過ごすのも、また、人間という存在、ひいては社会・政治といった事柄について思索を巡らせる一時を過ごすのも、「音楽」というものの惹き起こすものであることは、アラビア文学風のいいまわしをするならば、「まことに、これを針でもって瞼の裏側に書いておいたならば、これを読む人には生涯の箴言となることであろう」。


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